ドラマ「テセウスの船」終わってしまった!視聴率分析と解説&感想

『テセウスの船』は、 2020年1月19日(日)よりTBS系列で放送されたドラマ。 東元俊哉の同名のコミックをドラマ化したもの。
「真犯人がいったい誰なのか?」という謎と、制作者サイドの「“泣ける本格ミステリー“を目指す」という思惑通りの反響で話題となり、最終回では20%近くの高視聴率となりました。
感想を交えこの作品の視聴率分析と解説をしてみたいと思います。

そもそも「テセウスの船」ってなに?

テセウスがアテネの若者と共に(クレタ島から)帰還した船には30本の櫂があり、アテネの人々はこれをファレロンのデメトリウスの時代にも保存していた。このため、朽ちた木材は徐々に新たな木材に置き換えられていき、論理的な問題から哲学者らにとって恰好の議論の的となった。すなわち、ある者はその船はもはや同じものとは言えないとし、別の者はまだ同じものだと主張したのである。

Wikipediaから引用しました。
ギリシャ神話神話の一つです。もう少し詳しく説明しますね。

むかしクレタ島には、美女を生け贄に所望する悪い怪物ミノタウロスが住んでいました。
それを聞いたアテネの王様テセウスは、船でクレタ島に乗り込み、ミノタウロスを退治しました。
人々はその大冒険を讃え、記念にその時テセウスが使った船を後世まで大事に保存していました。
でも、だんだん老朽化していくので、その都度新しい木材で補修していきました。
で、その補修された船を見て、意地悪な哲学者が言いました。
「材料が変わっても同じ船って言えるのかい?」

というお話です。

これは、テセウスのパラドックスとも呼ばれている哲学のテーマで、ある物体の全ての構成要素(部品)が置き換えられたとき、基本的に同じであると言えるのか、という同一性(=アイデンティティ)の問題を表現したものです。
同じものだという人もいれば、違うものだ、という人もいて、永遠の哲学的テーマなわけですね。

屁理屈って言えば屁理屈のような気もしますが、確かに言われてみれば…というお話です。

60年ごとに全く同じお社を建て替えている伊勢神宮をありがたく参拝している我々日本人としては、「えっ 同じでしょ?」と言いたいところですけどねえ。
人間だって日々細胞は生まれ変わっているわけですしね。

まあ、それはさておき

ドラマ「テセウスの船」ってどんな話?(ネタばれあり)解説

これをタイムスリップを使ってタイムパラドックスにしたお話が、
東元俊哉(ひがしもと としや)原作のコミック「テセウスの船」です。
講談社「モーニング」誌で、2017年30号~2019年30号で連載されました。29号でドラマ化決定の告知があったので、連載前もしくは連載中からお話があったのでしょうね。すでに単行本として「モーニングコミック」から全10巻で刊行されています。

これをドラマ化したのがTBS。「半沢直樹」でお馴染みの日曜劇場の枠で、2020年1月19日から3月22日まで、全10話で放送されました。

簡単に言ってしまうと、
「大量殺人犯として死刑囚となっている男の息子が、過去にタイムスリップして父親の冤罪を晴らすべく事件の真相を探る」
というお話です。

結論から言うと、すっかり虜になってしまいました。
そしてたっぷり楽しませていただきました。

原作を読んだことは有りませんでしたが、サスペンス好きな私は、むしろ喜んで何の先入観も無くドラマに入っていくことができました。

主人公の田村心(たむら しん)役の竹内涼真がいい。
芝居がうまいといういうより、この人はきっとこのままの人なんだろうなあ、と思わせる人の良さがにじみ出ていて、この役にピッタリです。

また、殺人犯の汚名を着せられ拘置所に収監されている父・佐野文吾(さの ぶんご)役の鈴木亮平。彼も過去の時代では純朴な田舎の駐在さんで、家族思いの熱い正義の味方という役回りにピッタリ。

この二人がとても良いんです。

心は、生まれる前に父・文吾が殺人犯として逮捕されてしまったので、母・和子(榮倉奈々)と姉兄と共に、加害者家族として世間からの厳しい視線を浴び、隠れるように生きていました。
でも、心の過去を受け入れ支えてくれる最愛の妻・由紀(上野樹里)に励まされ、心は父に向き合う決意をします。

そして、父が逮捕された事件の現場となった村を訪れた心。
なんと突然、事件直前の平成元年にタイムスリップしてしまいます。

そして、心はそこで生まれて初めて父・文吾と31年前の家族に出会うわけです。
これが、優しさと笑顔が溢れる愛すべき人たちなんですね。

こんな家族思いの人が殺人犯なわけがない、そう信じた心は、事件を阻止して過去を変え、家族を救おうと立ち向かうんです。

自分が生まれる前の、明るく楽しい家族を見て心は涙します。その涼真くんに、そりゃそうだよね、君はこれまで本当に悲惨な人生を送ってきたんだもんね、よかったね心さん、と、一緒に泣きました。

物語は進み第3話。心は、文吾に信じてもらうためには自分の素性、つまり、過去から来たあなたの息子だ、と告白しなければならない状況に追い込まれます。
言ったところで信じてもらえるのか?どうする心!
心は思い切って打ち明けます。すると、文吾は
「信じるよ、心さん」と笑顔で一言。

これには涙が噴き出しましたね。

制作者が「泣けるミステリーを目指す」と言っていた通り、まんまとその術中にはまっている私。
泣かせるいいセリフが多いんです。原作にあるものなのか、それとも脚本家のオリジナルなのか。
オリジナルだとしたらこの脚本家・高橋麻紀さんはかなりの力量の持ち主です。これからどんどん仕事が増えていくことでしょう。

そして音楽がいい。
劇伴の作曲は菅野祐悟さん。東京音楽大学の作曲科映画放送音楽コース出身の本格派。
フジテレビの「ガリレオ」や最近では「シャーロック」の劇伴もこの人の作品で、様々なタイプの曲を作る人です。今回の曲はピアノ主体のしっとりとした曲で、これがいいところにかかって泣かせるんです。

テーマ曲はUru「あなたがいることで」。同じくTBSの「中学聖日記」のテーマ曲もこの人の作品で、彼女の囁くような優しい声にまた泣かされました。

これらの要素で一発で私を虜にしたこの作品、

初回は11.1%と、この枠としてはあまり振るわない視聴率でのスタートでした。

でも、竹内、鈴木の二人の好感度と、熱いセリフ、そして特殊な設定と事件の真相の謎に惹かれたので、これはうまくいけば上がるぞ、と思っていました。

タイムスリップの説明なんてありません。鈴木さんや榮倉さんの老けメイクなど突っ込もうと思えば突っ込める所も随所にあります。
でもそれを乗り越えるパワーがこのドラマにはある、と感じたんです。見事に制作者の思うつぼです。

もう一つ、大事な要素は展開のテンポです。
このままいつまで正体を明かさずに引っ張るんだろうと思っていたら、意外なことに第3話で明かしてしまいました。よしよし、客に飽きられる前にうまく展開させたな、これならいけるぞ、と思いました。
以降は、心と文吾は協力し合いながら事件の捜査をしていきます。

ところが、展開は良いのですが、一話一話みるとちょっと遅め。
家族や夫婦の描きがとても丁寧で、そのおかげで泣かされるんですが、事件の謎や展開との分量と比べて多いんですよね。
そうなると見ている方は、ちっとも事件が進んでいかないように感じてしまうんです。

それは視聴率に現れていますね。ちょっと見てみましょう。

第1話(1月19日放送):11.1%
第2話(1月26日放送):11.2%
第3話(2月2日放送):11.0%
第4話(2月9日放送):11.0%
第5話(2月16日放送):11.8%
第6話(2月23日放送):13.2%
第7話(3月1日放送):14.0%
第8話(3月8日放送):15.3%
第9話(3月15日放送):14.9%
第10話(3月22日放送):19.6%

私のように初回で掴まれた人、つまりコアなファンになった人は、この佐野家につられてついてきています。
が、新しい視聴者は入ってきません。
ところが後半、お話が大きく展開し始めるとじわじわ上がってきます。口コミ効果もこのあたりから出てくるんですよね。
そして最終回は一気にブレイク!となったわけです。

もう少し内容を追ってみましょう。
犯人が分かりそうになったその時(3話の終わり)、心は再び現代にタイムスリップしてしまうんです。いやー、憎い展開ですねえ。

おまけにその現代は、心が過去にタイムスリップする前の現代とは違ってしまっているんです。「Back to the Future」のPart2と同じですね。心が動いたことで未来が変わってしまったんです。これはタイムスリップものの定番の流れです。

4話、5話では、心は現代で事件の真相を探ろうと奔走します。
その時協力者となるのが、なんとかつての現代の妻・由紀なんです。
彼女はこちらの世界では新聞記者になっているんですね。確かにそういう性向のある人という設定でした。納得。こういう整合性って大事なんですよ。納得がいかないと見るのが嫌になりますからね。
現代のお姉ちゃんも出てきます。貫地谷しほりでした。おお、確かに子役と似ている。

そしてついに心は、現代の老いた文吾と対面します。
拘置所でガラス越しに。
すると文語は笑顔で一言「心さん、待ってたよ」

もうこれで涙爆流です。
過去にタイムスリップした心と会っているから、現代の文吾はその心がいつか自分を訪ねてくると信じて待っていたんですね。

そんな父に心は、これまでずっと殺人犯のお父さんを憎んでいた、お父さんを信じなくてごめんなさい、ごめんなさい…と何度も謝って泣くんです。

いやもう…号泣ですわ。

6話以降はどんどん展開していくので目が離せなくなります。
その証拠に視聴率もどんどん上がっていきます。
真犯人もわかってしまいます。なんと、事件当時小学生だったみきお(安藤政信)でした。
まあ、車椅子で出てきた時点で怪しすぎでしたけどね。
当時子供だった彼がなぜ?その瞬間また過去へ逆戻りしてしまう心。
心憎いばかりの展開です。

こどものみきお一人でこんな事件を起こせるはずがない、大人の協力者がいるはずだ。それが全くわからない。もちろん私たち視聴者にも。

なぜか?心と文吾は刑事ではないので本格的な捜査ができないからです。だから唐突に7話で17年前にこの村で何か事件があったことが振られます。犯人からのメッセージという形で。

そして迎えた最終回。
真犯人は意外な人物でした。
せいやです。霜降り明星の。
いやいや、せいやが演じた田中正志という男です。
元・地元議員の父親(仲本工事)をほったらかして町で暮らしていたが、何年かぶりに里帰りしていた、という設定でした。
その正志がなぜ?

17年前の村祭りの夜、キノコ汁で食中毒が発生、何人かが命を落とすという事件がありました。その原因を作ったのが正志の母親で、間違えて毒キノコを入れてしまったんですね。
そのせいで一家は崩壊、父親は母を見捨て、母は亡くなり、妹も自殺。こうした恨みを正志は今回の一連の事件で晴らした、ということだったんです。

特に文吾は、当時自演をちゃんと捜査しなかった(おまわりさんだから職務上仕方のないことですが)、そして正志が村に帰ってきたとき家族みんなで幸せそうにしていたから。

言いがかりやないけ!

最後の最後で、正志は文吾をナイフで襲います。
羽交い絞めにされながら正志は以上のことを告白します。

残念なのは、せいやがこれだけのことを計画したようには見えないこと。まあ、原作とは違う犯人をオリジナルで作ったそうなので、相当苦労して作ったんだろうなと推察します。

動機と正志の設定もさることながら、せいやそのものが犯人に見えない、というマイナス要素もあります。目を半白にしての大熱演だけど…そこは本物の俳優ではないので仕方のないことです。そのリスクを分かっていて敢えてキャスティングしたんでしょうから。

でもねえ、体格的に圧倒的に負けている文吾=鈴木亮平にナイフ一本で向かっていって勝てるわけないじゃんねーって、視聴者には言われちゃいますよね。
あれだけの計画を立てたのに結局最後はそれかいっていうガッカリ感に輪をかけてしまいます。

要は、話題性をねらってのキャスティングも慎重にやらないと残念な結果になる、ということです。

特に芸人さんは普段バラエティ番組で面白いところを見ちゃってるだけに、そのイメージが視聴者がドラマの世界に没頭するのに意外と邪魔になるんです。

もちろん全く化けてしまう人もいるので一概には言えません。ビートたけしさんのようにね。
今回一緒に出ている今野浩喜さんもそうです。彼はもともとキングオブコメディというコンビでシュールなコントをやっていましたから、お芝居はお手の物です。だから現在は俳優として活躍しています。そういう人を発掘できたら、宝物を見つけたようなものですよね。

お話をストーリーに戻します。

体格の違いをものともせず突っ込んだ聖夜に傷を負わされた文吾、危機一髪のところで心に救われます。大きな犠牲と引き換えに…

「テセウスの船」見終わってまとめ

エピローグとして、心によって過去が変えられた、幸せな現代の佐野家が描かれます。
その中でただ一人、文吾だけは、命をかけて自分の冤罪を晴らし、佐野家を救ってくれた、”未来から来た心さん”のことを想っていました。

文吾さん以外にも、31年前に心さんの記憶があるはずの佐野家のみんなは、今の心を見てそのあまりの相似に驚かないんでしょうか、と、誰もが思うでしょう。
でも、ずっと一緒に暮らしていると意外とそこまで意識しないのかもしれませんね、と、制作者に都合のいいように解釈してあげちゃいます。そのくらいこの1クール楽しませていただきました。

最後におまけとして、31年前くりくり坊主頭の少年だった佐野家の長男・慎吾くんは、
現代ではなんと澤部佑(ハライチ)になっていました。
賛否両論あるとは思いますが、これはもう、長く悲しいお話に最後まで付き合ってくれた視聴者への製作者からのプレゼントとして受け止めることにしましょう。
スタッフ、キャストの皆さん、素敵なドラマを有難うございました!

そしてこの記事を読んでくださったあなた。
最後までお付き合いいただき有難うございました!

スポンサーリンク
336×280